本と写真と珈琲が好き

書きたいこと、写真に残したいもの。思いつくまま、気の向くままに。

クリスマスレクチュア 2016 in Biei

理学博士佐治晴夫さんのクリスマスレクチュアを聞きに、美瑛まで行ってきた。

 

佐治晴夫さんはあの茂木健一郎さんの師匠だそうで、かなり有名な学者さん。

1970年代、あのボイジャーに搭載された人類の記録を詰めたレコードを作成したお方、らしい。

恥ずかしながら佐治さんの名前を知ったのは、つい最近のことだ。

 

今年の夏、美瑛市街に天文台のある博物館、丘のまち郷土学館「美宙」(みそら)が完成した。

佐治さんはそこで天文台長を務められている。

f:id:misia_blackcat:20161211155738j:plain

 

レクチュアは夜からの予定だが、せっかく行くのならば「美宙」も見たかったので、昼過ぎから出かけて美宙へ向かった。

入ってみると、とても居心地のいい空間。

最近のハコモノはあまり好きではないけれど、ここなら長居できそうな気がする。

 

入館そのものは無料。

天文台使用には、町外からの来館者は200円かかる。

せっかくなので料金を払って見ることにした。

札幌近郊で大雪に見舞われたこの日も、旭川周辺ではおおむね快晴。運が良かった。

 

天文台に入ると、なんとなんと、佐治さんその人がいた。

ちょうど雲の切れた青空の向こうに、こと座のベガが見えると言う。

佐治さんはとてもフランクに話してくれる、にこやかでおだやかなおじさんという印象であった。

f:id:misia_blackcat:20161211161053j:plain

 

望遠鏡を通して見た、昼間のベガ。

肉眼ではぜったいに見えないものが、レンズを通して見られるのは不思議な感覚だ。

くっきりした点ではなく、線香花火のようにちりちり光っているように見える。

写真はピンぼけのようにも見えるが、そうではない(たぶん)。

f:id:misia_blackcat:20161211161312j:plain

 

お話会の会場に向かう前に、佐治さんは施設に置かれているオルガンを弾いてくれた。

もともとは音楽の道(その後は数学者)を志していたとのことである。多才な人のようだ。

f:id:misia_blackcat:20161211161641j:plain

 

さてまだたっぷり時間がある。会場に向かう前に腹ごしらえ。

美瑛道の駅の地下にあるカフェにて、焼きカレーをいただく。

同行者の錦さんのおごり。ガソリン代の代わりだそうだ。

f:id:misia_blackcat:20161211161908j:plain

 

そして夜はいよいよ会場である町民センター「多目的ホール美丘」へ向かう。

結構広めの会場は、見る間に人で埋め尽くされた。無料とはいえ、予想以上の人気だ。

 

宇宙人のかぶりものをかぶって現れた佐治さん。

会場の笑いを誘う。そのままピアノを一曲弾く。

ユーモアを忘れない素敵なおじさんだ。

 

話してくれたのは、宇宙の話。時間感覚の話。

以下、資料としていただいた最新新聞記事からの引用。

 

一日を長く?生きるコツは、新鮮な驚きと出会い続けること、言い換えれば、新しいことを学び続けること、新しい人との出会い、旅行、新しいことへのチャレンジなど、驚きのまなざしを忘れていないことに集約されるといってもいいでしょう。

 

最近時間が飛ぶように過ぎる自分にとっては耳の痛い、しかし説得力のある言葉。

年齢を言い訳に、いろんなことをあきらめている自分。これではだめだと思った。

子供のような時間を生きたい。瞑想的な生き方がしたい。

 

そして、三人の宗教者の言葉を引き合いに出して、今この瞬間を生きることの大切さを説く。 

 

佐治先生の持論。それは未来が過去の価値を決めるということ。

過ぎたことは変えられないが、これからどう生きるかによって過去の意味合いは変えることができる。

つまり、未来を変えることによって、過去は変えることができるのだ。

 

過去は存在しない。

未来は存在しない。

存在するのは現在だけ。

 

過去への後悔も、未来への不安も、すべては今この瞬間に起こっていること。

過去も未来も忘れるくらい今を楽しんで生きれば、後悔も不安もそこには存在しない。

 

今、自分が痛いくらい必要としている言葉だった。

 

そして、朗読してくれた金子みすゞの詩。

 

青いお空のそこふかく

海の小石のそのように

夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。

見えぬけれどもあるんだよ、

見えぬものでもあるんだよ。

 

見えないものでも、それはそこにある。あの昼間に見たベガのように。

それは知らないうちに知らないところで、つねに自分に影響を与えている。

そのことをちゃんと忘れずにいることは、とても大事なことだと思った。 

 

佐治さんの知人でもある村田和子さんのお誘いで行ったクリスマスレクチュア。

冬至まで10日あまりの一番心細い季節に、大切な言葉の贈り物をもらえて良かった。

帰り際、最後にもう一度ごあいさつをさせていただくことができた。

心からの「ありがとう」が言えた気がする。

弱さの情報公開

最近ちょっとメンタルをやられている。
 
この季節にはよくありがちなことなのだけれど、それにしても今回のはちょっとひどい。突如不安に襲われて、その場で息をしているだけでも苦しくなることが時々ある。こないだも、とある会議中に心臓がバクバクして冷や汗をかいてしまった。軽度のパニック障害かもしれない。ここまでなるのはさすがにひさしぶり。そういうものとは、とうの昔におさらばしたつもりだったのだけど。
 
ある人に当事者研究をすすめられたこともあって、浦河べてるの家向谷地生良さんの著書『安心して絶望できる人生』を思い出し、少し読み返してみた。その本によく出てくる「弱さの情報公開」という言葉について、あらためて意味を噛みしめてみた。
 
そうだ。自分は弱さの情報公開がしたいのだ。自分の弱さを語り、それを誰かと共有したい。
 
でも、どこで?誰と?あらためて周りを見渡してみると、そういう場というものがほとんどないことに気づく。Facebook?いや、ちがう。SNSは、それとは対極的な場所だ。一般的に、誰もが自分の「強さ」の情報公開をするのがSNSだ。自分がいかにうまくいっているか、いかに楽しんでいるか。だから落ち込んでいるときに考えなしにSNSを見ていると、かえってひどく落ち込んでしまう。SNSだけじゃない。現実の世界でだって、人はみんな、うまくいっている自分だけを見せたい。そして極端にうまくいかなかった人はテレビのニュースやワイドショーでおとしめられ、視聴率を上げるためにに利用され、人はそれを見て自分と比べ、少し安心する。そうだ、弱さなんか見せている場合じゃない。いつ寝首をかかれるかわからない弱肉強食の世の中で。
 
でもそれで人は本当に幸せなんだろうか、と考える。生きている以上、誰もがいつでもどん底に落ちる可能性を秘めている。自分だけが不幸を免れる保証なんてどこにもない。自分の弱さを認める方が、それを安心して語れる場がある方が、本当は誰にとっても幸せなんじゃないだろうか。
 
浦河に行ったことはないが、そこではどんでもなく問題のあるたくさんの人たちが「何の問題もなく」、いや「問題があっても問題なく」暮らしているらしい。過疎に悩む町がそんなことで全国から注目されてるいるのはすごいことだと思う。自分の暮らす町にもそんな場所が作れたら、なんて妄想してみる。
 
自分はきっと、人の弱さを聞くことも好きなんだと思う。でも、なかなかそこまでの関係になれる人はいないから、ついつい自分の苦しみにばかり目がいってしまう。きっと自分と同じように人知れず悩んでいる人はいくらでもいるだろうに、気づいてあげられない。いや、気づこうとすらしていないのかもしれない。
 
ふと、自分を語る言葉の少なさに気づく。自分を語る言葉を見つけることを、ずいぶん長いことサボってきたように思う。
 
弱さの情報公開は、誰かのために、世界のために、きっと役に立つものだと思う。自分の弱さを語らない、語れないということは、誰もが学校でうんこをしたいのに我慢して、した者をバカにすることでかえって自分を追いつめるあの小学校での悪癖に似ている気がする(今はどうなのか知らんけど)。
 
追いつめられるとなんとかそれを言語化したくなるので、ちょっとまとまった文章を書いてみた。
 
なんて書いてはみるけど、本当に病んでいる人が目の前にいたら、自分は引いてしまうかもしれない。ソーシャルワーカーってすごいよね。尊敬します。

「ひま」について

僕は「ひま」がとても好きだ。
「ひま」をなにより大事にしている。
でも、うまく説明する言葉が見つからなかった。
 
たまたま立ち読みして見つけた以下のくだりが、自分の中でとてもストンと落ちた。
そして、その子供向けの本を購入した。
本の題名は『世界でいちばん貧しい大統領からきみへ』。
 
ギリシャ時代といえば、奴隷制度が存在した時代。
ある階級の人たちの「ひま」が成り立ったのは、もちろん奴隷がいたからこそのことだ。
そういう負の側面があることを考慮の外に置くわけにはいかない。
しかし、現代はたぶんその頃とは事情が違う。
忙しさや貧しさの原因が、一部の人たちが富を独占していることによるのはほぼ明らかだ。
 
人間にはもっとたくさんのひまな時間が必要。
豊かな人生を送るためにも、幸せな人生を送るためにも。
自分の政治への関心はそこから始まり、それに尽きると言っても過言ではないと思う。
 

 
ヨーロッパ中世の学問に、スコラ哲学がある。
これは、古代ギリシャの「スコレー」が起源で、
これが「ひま」という意味なんだ。
古代ギリシャでは、スコレーは議論する時間のことだった。
 
ギリシャ時代の人びとは大きな広場に集まって、
話しあい、議論した。
こうした社会に、スコレーつまり「ひま」が重要だったんだ。
スコレーがあったから哲学が生まれた。
 
たとえば、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、
弟子と歩きながら話した。
アテナイの自分で作った学園の庭や小道を、
歩いて散歩して考えたんだ。
アリストテレスの弟子たちは「散歩する人びと」と呼ばれた。
それが彼の教育法だった。
「ひま」とは、そういう時間のことでもあるんだ。
 
哲学は大学で学ぶだけじゃない、
人生を通して抱き続ける問いなんだ。
わたしたちはみな哲学者なんだよ。
哲学は、製品として売ることができないから
市場では相手にされないが、
哲学を持たなければ、世の中にあふれているものごとから
本物を見つけることはできないだろう。
 
「ひま」は無駄じゃない。
人が話し合う時間は大切なんだ。
時間がかかるものではあるけれど、
それが「生きている時間」なんだよ。
 
きみとこうしてじかに向き合って、
同じ時間を共にすることがすばらしいんだ。
 

 

さよならSNS、こんにちはラジオ。

これからはラジオに生きようと思う。
Facebookからは1ミリずつでも離れていこうと思う。
ネットは調べ物のために使おうと思う。
あるいは物書きのために使おうと思う。

 

テレビがダメだからと嘆かないで、さっさとラジオを聴いていれば良かったのだ。今ほどラジオを聴くための環境に恵まれている時代はない。

ネットを「繋がる」ためのメディアではなく「調べる」ためのメディアとして使えば、とてつもない恩恵だ。

 

こんな当たり前のことに気づくのに、どれだけ遠回りしたんだろう。まあ、習慣を変えていくのにはかなりの時間がかかるだろうけど。

ひからびたミミズに水をかけた話

ひさしぶりの更新である。

実はもうこのブログは凍結しようかと思っていた。やめたり再開したり、忙しいことである。

過去に書いたことが気に入らないからだが、そんなものは忘れて、どんどん更新していけばいいことだ。きっといつか、自分の安定したスタイルが見つかると思う。

 

そこで、今後の方針を考えた。

ブログだとモチベーションが湧かないので、まずはFacebookでまとまった文章を書いて(自分にはそれがいちばん抵抗がない)、それを逐一こちらにコピペするという方法だ。

Facebookだけでもいいのだが、それだとタイムラインの下の方にどんどん埋もれてしまうので、後から読みなおすのには都合が悪いのだ。続けられて、なお記録としてちゃんと機能する。このやり方がいちばんしっくり来そうな気がする。

 

そんなわけで、再開第一弾。

 

噴水に遊びに連れて行った姪が、ミミズが路上で干からびて死んでいるのを見て、お水をかけたら生き返るかもしれないと言う。もう死んでいるから無駄だと諭しても、どうしても水をかけたがるので、好きにさせてやることにした。噴水から水をすくってきてかけようとするが、それじゃうまく運べないので、持ってきたお茶をかけなさいと言った(お茶をもたせた母=ばぁばは、トクホのお茶だったのにと後でぼやいていたが)。
 
こういうとき、世の親御さんは子供にどういう態度を取るのだろう。だいたい二つのタイプに分かれると思う。気の済むまで子供にやらせる親と、強制的にやめさせる親と。僕は親ではないけれども、前者を支持する。
 
僕は相手が大人であるか子供であるかに関係なく、人が自由に伸びたい方向に伸びるのを手伝ってあげたいとつい思ってしまう人間だ。失敗するとわかっていても、あえて失敗させてあげたいと思う。なぜなら、他人がやったことは、自分がやったことではないからだ。おなじ結果を学ぶにしても、他人がやったことを聞くのと自分でやって実感するのとでは、意味も得るものもまったく違う。大人が子供の無駄な行為を遮ってやめさせたいと思うとき、そこにあるのは子供の成長を願う気持ちではなく、単に自分が面倒くさいという気持ちなんじゃないだろうか。
 
ミミズはやっぱり生き返りはしなかったけれども、一生懸命かけてあげる姿を見て、本当にミミズが動き出すんじゃないと半ば本気で思ってしまった。だいたい、干からびたミミズに水をかけても生き返らないと、実際にやって確かめた大人なんてどのくらいいるのだろう?それが常識だからという理由で判断しているだけじゃないだろうか?本当はいま信じている常識なんて、いつ覆るか分からない。子供の頃当たり前のように身分制度だと教わった江戸時代の士農工商だって、実は身分制度じゃなかったのだ。わからない人間の強みは、誰もやらないことをとにかくやって道を切り開いてしまう可能性があることだ。
 
・・・なんて小難しいことをそのときに全部考えたわけではない。ただ、ミミズを生き返らせてやりたいというやさしい気持ちに水を差したくはなかったのである。できることならそのまんま大人になって欲しいと思った、ただそれだけの話。
 

f:id:misia_blackcat:20160816114151j:plain

ナンセンス

意味のあることは大事だ。

自分のしたことがなにかいい結果をもたらした、とか

自分のしたことで誰かが喜んでくれた、という達成感。

うん、大事。

 

でもな

なーんか、疲れる。

最近、相当疲れている。

 

本当の自分は、無意味なことばっかりしていたい。

結果なんかどうでもいいことに、ただひたすら没頭していたい。

やっていることそのものが報酬であるような、何かがしたい。

 

たとえば、そうだなー。

今、銭湯に行って帰ってきた。

露天風呂で、お湯の気持ちよさにただひたすら身を任せて、ぼーっと長湯してた。

意味なんかない。ただ気持ちいいからそうしていただけ。

風呂に入るのは、じつは体がきれいになるかどうかなんて二の次だったりする。

 

読書もそう。

読んだ本の冊数なんて、どうでもいい。

読んだ本から得た知識の数なんて、どうでもいい。

ただただ、読んでいるときに味わう、なんともいえない心地よさと自由な感じが好きなだけ。

だから、ゆっくり読む。読みながらいつでも途中で止めて、物思いにふける。

脳が、内臓が、体全体が、喜んでいるのがわかる。ただし本と相性が合ったときだけ。

だから、再読でも再再読でもいい。

 

要するに「ためにする」ことが、あんまり好きじゃない。

 

カメラを買うときは、ただ買いたいから買うのだ。

それを使っていい写真を撮って、人を喜ばせようとか、お金を儲けようなんて、べつに考えちゃいない。

ただ買うというそのこと自体に、わくわくする。

 

ジーンズに狂っていたときも、ただ欲しいから買っていた。

何足あれば一週間着回せるとか、そんなの知ったことじゃない。

ただあの青さ、擦れ具合、生地の質感がたまらなく好きだっただけだ。

 

ジムに通いまくってたときも、ただあのスタジオの高揚感が好きだっただけ。

やせるとか、健康を維持するとか、べつにどうでもよかった。

実際、太ってもいなかったし、体は健康そのものだったし。

 

勉強でも、無意味なことがいちばん好きだった。

漢字を覚えるとか、字をうまく書くとか、板書した社会のノートを、ひたすらべつのノートに書き写すとか。

字なんて本来、読める程度にきれいに書ければいいんだよ。うまい必要なんか全然ない。

大学では、正直単位のことなんて考えたくなかった。

講義を聴いていると面白かったから、ただその時間さえあれば良かった。

テストなんかしてほしくなかった。

 

最近、無意味が足りない。

圧倒的に足りない。

 

子供のころは、やることすべてが無意味だった。

したいからする、したいからする、の連続。

周りすべてものから受ける、あのみずみずしい感覚。

あの感覚はもう、大人になってからは二度と取り戻せないのかなと、ときどき絶望的な気持ちになる。

最近、体調がすぐれないせいかな?

あらゆることが、なんの感情も巻き起こさずに、ただ体を過ぎていく感じがする。

 

坐禅は毎日している。

きっと、禅でいう「空」というのは、自分の考えている「無意味」に近いのだと思う。

でも、なかなかその感覚は取り戻せない。

 

東京にいた頃は、電車をわざと一本遅らせるのが好きだったな。

始発駅だったから、一本待てば座れるという理由もあったが、本当の理由は、ただ待つのが好きだったからだ。缶コーヒーを飲みながら次の電車を待つ時間が、まるで瞑想のように心地よくて好きだった。

 

コインランドリーでは、あの狭い空間で、洗濯と乾燥が終わるのをただ待っていた。

全然退屈じゃなかった。(取りにくる人は迷惑だっただろうなー)

ときどき文庫本を持って行って読んだりもしたけど。

 

コンパクトカメラを片手に、路地裏の雰囲気がいい町を、ただぶらぶら歩きたい。

気が向いたら好きなだけ立ち止まって、パシャパシャ写真を撮っていたい。

疲れたら、カフェに入って、本とコーヒーでのんびりしたい。

飽きるかな?毎日そんなことをしていたら。なんとなく、飽きない自信があるんだよな。

 

幕末の江戸は、無意味が究極まで発達していた社会だと思う。

日本人って、本来そういう無駄が大好きなんじゃないかね?

効率とは正反対のもの。

なんとなく、そういう血が流れている気がする。

そうやってやってるうちに、伊能忠敬みたいに、すんごい地図作っちゃうんだよ。

あれはたしか、隠居後の道楽だよね。

 

あーあ。

無意味が恋しい。

 

そもそも、このブログ自体が無意味。

読んでも、何の得にもならないね。

割り勘

どうもブログってのは無理やりネタを作って書かないと続かないもので・・・。

そもそも文章を書くのって、元からそんなに好きじゃなかったしな。

たまに書けば、良く評価されたという程度。好きと得意は違う。

 

成り行きで文章を書いていると、どうしても独白めいたことや暗いネタに偏りがち。

やっぱり写真をメインにしたブログを新たに始めたいと最近は思っている。

文章なんて、写真にちょこちょこっとおまけに添える程度でいいや、なんて。

見せるブログと、見せない(前提の)ブログを、うまく使い分けられたらいいな。

 

さて、昨日は札幌からある人が来訪した関係で、ずいぶんとひさしぶりに焼き肉店へ行った。

動物園通りにある「どんぐり」豊岡店。

 

来る7月の参院選に向けて、政党や議員さんに野党共闘を呼びかけたり、市民向けの勉強会を開催したりする「勝手連旭川」という団体を、昨年末に仲間と立ち上げた。

昨日一緒だったのはそのメンツ。

昨日札幌から来てくれた山田さんは、「5分で分かるTPP」という小冊子を監修したお方。

札幌で「φ(ファイ)」というお洒落なバーのようなお店を経営している。

「のような」という表現をせざるを得ないのは、実際に行ったことがないからだ。

食への危機感もさることながら、政治への関心も高く、Do Sen Fesという選挙を盛り上げるための団体を立ち上げてさまざまなイベントを企画している。

お店だけでもお忙しいだろうに、たいしたお方だ。

 

まあ、実を言うと行くのはちょっとためらっていた。

7時開始なのに、7時までとある会議があって遅くなりそうだし、正直焼肉屋で払う数千円の出費は今の自分にはきつい。

でも、山田さんに会えるという魅力には勝てなかった。

 

で、会計。

ひとり頭軽く3000円は超えていたと思われるが、勝手連メンバーのMさんが「あとから来た人はあまり食べてないし、お酒も飲んでいないから少なめにしてあげないと」と言ってくれた。

「いいですか?すいません」なんて言いながら内心ホッとし、財布から2000円を取り出し、払った。

 

でね、思うのは、これが本来のあり方だってこと。

昔の人間関係では、食べる人も食べない人も、飲む人も飲まない人も、皆同じ金額。

食べた者勝ち、飲んだ者勝ち。それではあまりにもずさんだと思っていた。

そんな関係は、小さな不満が少しずつたまって、どこかで破綻してしまう。

 

本来あるべき気遣いを自然にしてくれる今の仲間は、本当に貴重だ。

この関係は長続きするだろうと、当たり前のように確信できる。

そんなのあたりまえ?なのかな。少なくとも自分が周りにこういう心地よい関係を築くことができ始めたのは、ついここ数年のことだ。

 

割り勘は全然公平じゃないっていう話。

 

それとおんなじで、世の中の常識とか、習慣とか、法律とか、システムとかって、あまりにもずさんで形式的で、一人一人の人間の実情を無視していないかな、って思う。

「個人」とは「違いのある人間」なのだそうだ。憲法カフェで教わった、なるほどな解釈。

 

まあだからどうという結論はないんだけど。

心地よい世界を作るには、まず心地よい人間関係からだなって思う。

点が線に、線が面になっていくという感覚。

今はその途上だと思う。