本と写真と珈琲が好き

書きたいこと、写真に残したいもの。思いつくまま、気の向くままに。

最近よく感じること

最近よく感じること。といっても、日々いろんなことを感じているわけで、その中のひとつということなのだが。

 

自分には技術が足りない、とよく思う。キャリアが足りないと言い換えてもいいかもしれない。朝早く目覚めると、その後の浅い眠りの中で、起きているときには意識に登ってこないような自分の中の根源的な悩みが持ち上がってくる。浅い眠りの後は、たいてい後味の悪さだけが残る。昼寝の後もたいがいそうだ。そのときによく感じるのが、上に書いたようなことだ。

 

自分はそこそこ文章も書けるし、そこそこ写真も撮れるし、そこそこ英語のリスニングもできるし、そこそこコーヒーも美味しく淹れられるし、そこそこスイーツも作れるし、読むのは遅いけどそこそこ本もたくさん読むし、その気になればダンスやエアロビやヨガだってできる。

 

問題は、それがすべて「そこそこ」というところだ。この道では誰にも負けないというものがない。プロとして経験を積んできて、この分野なら食っていけるという自信のあるものがない。さらにいうと、時間ができたら、寝食を忘れてこれに打ち込みたいというものがない。

 

時間ができたら、とにかくやりたいこと。

人によって、それはたとえば編み物だったり、楽器を弾くことだったり、文章を書くことだったり、家具や家を作ることだったり、絵を描くことだったり、プログラミングすることだったり、作曲をすることだったり、コーヒーを焙煎したりすることだったりするかもしれない。とにかくそれをやっていると、寝食を忘れ、心が落ち着き、仕事のない時間をすべてそれにつぎ込んでも、むしろ休息のように感じる何か。自分には、そういうものが足りないのではないか。子供のころはマンガを描くのが大好きだったし(お粗末なものだったが)、それさえやっていれば晩ご飯すらもどかしいくらい夢中になったことがたくさんあったと思うが、大人になってからそれを見つけ出すのは難しい。

 

何かひとつでもそういうものがあると、とても強いだろうと思う。好きでやっているんだから、やっている当人は全く苦痛とは感じないし、時間どんどんつぎ込むから、どんどん上達していく。それによっていつかお金を稼ぐことすらできてしまうかもしれない。

 

自分にとっては、文章を書くことや写真を撮ることがそれになれればいいと思っているが、残念ながらそこまではなれていない。一種の義務感を感じているし、なにより、めんどくさいと思うことが多々ある。よいしょっと重い腰を上げる感じが消えないのだ。

 

かつては、図書館司書になりたいと思って大学の通信講座を受けたこともあったし、翻訳の仕事をしたいと思って翻訳の通信講座を受けたこともあった。それでも、実際に仕事を得るまでやりきったという経験がない。ある程度行ったところで、プレッシャーに負けてしまうのだ。そして自信がなくなって自問してしまう。「お前は本当にこれがやりたいのか?」と。限界点を超えて、今までに何かひとつでもものにしていたら、今の自分のあり方もかなり違っていただろうか。

 

そう、ことはそんなに大げさでなくとも、とにかく何か打ち込めるものが欲しいのである。それをやり始めたら最後、中断するのが惜しくてしかたなくなるような何かが。土いじりでもいい、家具作りでもいい、料理でもパン作りでもいい、楽器を弾くのでもいい。「めんどくさい」「疲れる」という気持ちから完全に離陸して、フローの状態になれる何か。

 

文章だって、毎日書いていれば、そのうち書くことそのものが気持ちよくなるかもしれない。そんな気持ちでこのブログも書いている。実は、簡単なスケッチもさらさらっとできるようになりたいと思っている。「描写する」という点では、文章もスケッチもよく似た表現方法だ。そう思って、モケラモケラでの月一回の美術部にも通っている。

 

とくに結論も用意せず書き始めてしまい、そしてやっぱり結論は出ないのだが、最近そんなことをよく感じている。そして、人がなにかしらに打ち込んでいるのを見て、うらやましいとも思ったりする。

 

このブログは完全に自分のために書いているものだ。自分の中のもやもやしたものに形を与えられるのは嬉しいし、本当は公開しなくてもいいが、その余波で誰かがクスッと笑ってくれるようなことがあれば、さらにちょっとだけ嬉しい。そこまでいかなくとも、単に誰かの思考に影響を与えられるだけでもいい。

 

そうして書いた後は、いつだってちょっぴり後悔する。それでも削除しないのが、自分に課したルールだ。