本と写真と珈琲が好き

書きたいこと、写真に残したいもの。思いつくまま、気の向くままに。

セレンディピティという言葉

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』を読んでいる。

 

女性向けの本だし、正直ふだんあまり読むジャンルの本ではない。

しかし、話題本だと思って軽く見ていると、いい意味で裏切られる本だ。

読んでみると、「セックス」とか「ヤリチン」とかいう言葉が頻繁に出てくる。それもそのはず、この本は文庫本だが、単行本で出版されたときのタイトルは『恋とセックスで幸せになる秘密』である。昔だったら、恥ずかしくて絶対読まなかっただろうし、そもそもタイトルに抵抗を感じて買わなかっただろう。

 

読んでみると最初、うーん、まあよくある本だね、買うまでもなかったかな、という印象を受けたが、読み進めるうち、なかなか哲学的な深さを持つ文章もあったので、以下に少し引用してみる。セレンディピティ」。よく聞く言葉だが、その意味はよくわからないまま、今の今まで聞き流していたような気がする。Wikipediaによれば、セレンディピティとは「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値のあるものを見つける能力、才能を指す言葉」だそうである。

 

(以下引用)

 

自分の「未来」を忘れてみる

 

 みんな「未来」という言葉に、縛られすぎているんじゃないでしょうか。

 未来というのは、そこで何が起こるかわからないから「未来」なのです。

「何歳までに、こうなっていたい」「何歳までにこうなっていなければならない」「クリスマスまでに彼氏が欲しい」というのはそれは未来じゃなくて、予定か強迫観念です。

 

「あなたの夢を実現し、すばらしい未来にするのは、あなたの努力次第」なんて言葉はたいてい宣伝です。「恋が女をキレイにする」の女性誌と同じ。

 あなたがナルシシズムを刺激され、追いつめられて、自分の未来のために「努力」することで、どこかの会社が儲かるようになっているのです。

 あるいは「親の呪い」もあるでしょう。親や世間が言うとおりのことを、するか、それに逆らうか。そのどちらかのために多くの人は「努力」しています。

 そして理想の未来がうまく実現できないと、ヘコんで、自己受容できなくなってしまう。

 

 自分で「私は運がいい」「人生、快調」と本気で思えている人は、いま目の前で起きていることを楽しめて面白がれる人です。計画した未来ではなく、現在の「起きた出来事」の中に、幸せや新しい価値を発見する能力を持っている、ともいえます。

 そういう能力や感覚のことを「セレンディピティserendipity」といいます。

(中略)

 恋愛でいうと「あの人と結婚したい」とか「この恋を叶えたい」とか「この関係を長続きさせたい」といった未来への希望や不安に夢中になってしまい、おたがいの関係や相手の姿の「今」が、よく見えなくなってしまうのです。

 もちろん未来の予定をまったく立てないで、すべて「いきあたりばったり」に行動することは、できません。

 でも、生きていれば「予定どおり」「計算どおり」にいかないことは起こります。

 その時に、何が起きても「悪いことが起こった」とは思わずに、つねに事態を良いほうにとらえて、味わって、それが自分に与えてくれる意味を感じ、受け入れる。

 その方が物事はうまく進んでいくのです。

 

(引用終わり)

 

納得。納得すぎる。

今を十分に味わい、楽しんだ結果として、未来がある。最近よく考えること。

これはほとんど、禅の境地。

これの少し前の章で「感情は、考えないで感じきる」とあったが、これはまさに『エブリデイ禅』の中で著者のシャーロット・浄光・ベックが言っていることとぴったり重なる。「感情の炎に、水もかけず、かといって新しい燃料もくべず、湧きあがってくるものがおさまるまで感じきる」。感情に任せてネット上で言葉を書きなぐることもせず、かといって聖人のような言葉で、ネガティブな感情をまるでその初めからなかったかのようにもしない。それはきっと正しい。

 

話を戻す。

「未来への希望や不安に夢中になってしまい、おたがいの関係や相手の姿の『今』が、よく見えなくなってしまう」のはよくあることだ。

僕に恋愛を語る資格はほとんどないのだけれど、ある歳ぐらいから、誰かを好きになってもそこから焦ってどうこうしようと思わないようになった。

自信がなくて逃げているというのももちろんあるだろうし、そこは否定しない。でも、それだけじゃなく、「今」を不完全なものとか「途上」として否定したくないからだ。

自然に関係が進展するならばそれもよし、どうにもならないにしたって、時おり胸にじんわりくる気持ちや、不安や焦りや嫉妬やコンプレックスもぜんぶ含めて、今しか味わえない気持ちを前向きなエネルギーに転換してやればいいじゃないかと。

で、結局どうにもならずに終わるわけだけど。でも、それが無駄だったとは思わない。

 

ともあれ、最近では自分にもセレンディピティというものが理解できるようになってきた。

お金がなさ過ぎて時々本当に焦るけれど、今は無形の財産に恵まれていることが実感できて、そのうちどうにかなるだろうという気がしている。不運なことはときどきあるけど、それも何かいい意味があるのではないかと、自然に思える思考パターンがいつのまにか身についた。

 

二村ヒトシ『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』。おもに恋愛の話を中心に語っていますが、全体を通したテーマは「自己受容」です。

自分自身まだ読んでいる途中で言うのもなんですが、一読の価値あり、かと。