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本と写真と珈琲が好き

書きたいこと、写真に残したいもの。思いつくまま、気の向くままに。

最近の(どーでもいい)日記

どうも最近不整脈っぽい。いや、不整脈っていうのがどういう状態なのかよくわかっていないのだけど、息を長く吐いたり強く吐いたり声を出したりすると鼓動が乱れる感じがして、その拍子に軽い咳が出る。鼓動が乱れると咳が出るなんて、初めて知った。ネットで見るとなるほどそういう話も出てくる。

なんでこんなことになったのか。もともと心臓は強いほうじゃないと思うが、思い当たるのが食事をよく抜くようになったことだ。朝食べなかったり、朝以外を一食抜いたり。小食は体にいいとよく言われる昨今だから、空腹の時間を作ることは体にいいと思っていた。しかし、心臓というのは、ある種の栄養素が不足すると機能が低下するのではないかと思う。そのことを身をもって知った。

もうひとつは、カフェインの過剰摂取。コーヒーは一日に何杯でも飲めてしまうくらいコーヒー好きだが、どうも調べてみると、不整脈にはあまり良くない飲み物らしい。

特定の栄養不足と、コーヒーの飲み過ぎ。これに夏の疲れがたたったというのが自分なりの診断だ。本当は病院へ行った方がいいんだろうけど、それはお金がないからパス。なんて言ってるうちに死んでしまったらシャレにならないんだけど、それほど深刻なわけでないことは自分の体の感覚から何となく分かる。別に、苦しいわけでも痛いわけでもないのだ。

最近はほとんど気にならない程度になりつつあるけど、さすがにもう若くはないからいろいろ気をつけないとだめだね。

 

ふたつめ。

時間があればついどこかに出かける方向にいってしまうのは、最近の悪い癖だ。何かにじっくりと取り組むということがほとんどできていない。

若いころって、何かの勉強に打ち込んだり、割とひとつのことにじっくりと取り組むことができた。受験勉強なんてその最たるものだ。今はそれができない。ような気がする。

たとえば今の政治情勢にはとても不満があるが、かといって自分で徹底的に勉強してやろうというところまでは行っていないし、そもそもどうやって勉強するんだろうとか思うし、専門書を読みあさるほどの気力もないし、せいぜいネットに上がってくる情報を見るだけだ。勉強するということと、情報を集めることとは違う。差し迫った問題であるマイナンバーについてだって、ネットで調べにいくのすら億劫だ。世の中にはすごい人がたくさんいて、自分からいろいろな情報にアクセスしてよくぞここまでということまで調べ上げてしまうが、自分はとうていそういう風にはなれそうもない。

文章だって、もっともっとコンスタントに書いたらいいと思うのだが、書いてはしばらく休み、書いてはしばらく休み、の繰り返し。

とにかく、暇さえあればこれをやる、的なことが欲しいのである。それがお金のかからない活動であるならなおのこといい。

そういえば、この前好きなカフェの店主に「コーヒー検定」という資格のこと聞いて、ちょっと興味を持っている。まあ、◯◯検定なんて誰かが金儲けするためのシステムなんだろうけどさ。

 

みっつめ。

「好き」ということについて最近思うこと。

これについては、自分ではうまく言えないので、人の言葉を借りることにする。舞城王太郎阿修羅ガール』より引用。

(以下引用)

あのねアイコ。好きな人の名前を訊かれてクエスチョンマーク付きで答えてるうちはぜんぶ間違いなのよ。愛ってのは迷わないものなのよ。絶対正解で間違いとは無縁のものなのよ。誰々君のことが好きなのかしら?なんてふうには考えないものなのよ。好きな相手が誰かなんて、答えは唯一無二でこの世で一番明らかなのよ。

(中略)

「好き」って何?って疑問は無意味。

どういう意味?

「好き」は「好き」だけ。理由はないの。側面もないの。「ここが好き」「こういうところが好き」とかは言えるけど「ここがあるから好き」「こういうところがあるから好き」というふうには言えないの。

何それ。意味判んない。

上手く言えないだけよ。意味は判るでしょ。

うん、判る。

(中略)

でも多分きっと、人が人を好きになるときは、相手のこことかそことかこういうところとかああいうところとかそんな感じとかそういうふうなとことかが好きになるんじゃなくて、相手の中の真ん中の芯の、何かその人の持ってる核みたいなところを無条件で好きになるんだろうと思う。私もだから、陽治のその核のことが、胸の裏に貼り付いて離れない。

(引用終わり)

 

好きでもない男とやっちゃって後悔するというしょーもない場面から始まるこの小説を本当に真剣に読み出したのは、おそらくこのくだりを読んでからだと思う。なぜかこの部分が強く心をとらえて離さなかった。そうそう好きになるってこういうこと。

好きな人の名前を訊かれて0.5秒で答えられるということは幸せなことだ。「好き」というのはたぶんそういうこと。一生の間に、そう何度もあることじゃない。

おせじにも美品とはいえないその文庫本は、薄汚れてボロボロだけど、今もこれからも手放す気は全くない。