月が綺麗ですね
またくだらぬことを書いてしまった。
(Facebookより)
スーパームーンとか、福山の結婚なみにどうでもいいんですけど。
感動してるんじゃなくて、情報に踊らされてるだけじゃん。
肉眼で大きさの違いを見破れる人が、果たしてどれだけいるんだろうか。
「月が綺麗ですね」のほうがよほど素敵な言葉だと思うが。これにはまた別の意味があるんだけども。
満月の頃になると、必ず何年に一度のなんとかムーンとか言い出すノータリンな輩がいて、つい上のような毒を吐いてしまうんですけど、それはまあどうでもよくて、「月が綺麗ですね」についての話です。
この言葉には、文字通りの意味だけじゃない別の意味が隠されていて、正解を言ってしまうと、I love youの訳語なのですね。これは、以下のような逸話がもとになっています。
(ネットより転載)
小説家・夏目漱石が英語教師をしていたとき、生徒が " I love you " の一文を「我君を愛す」と訳したのを聞き、「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね、とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から。遠回しな告白の言葉として使われる。
真偽のほどは定かでない、都市伝説のような話らしいですが、なんともいい話です。その訳された文章というのはどんなシチュエーションだったのでしょうか?おそらく二人で月を見ていたんでしょうね。「月が綺麗ですね」と言うことで気持ちを伝えるなんていうのは、伝えられる側にも同じくらいの感受性が要求されるわけで、おそらく日本人にしかできない芸当なんじゃないでしょうか。夫婦が末永く円満でいるための秘訣はお互いの顔を見るのでなく、共通の何かを一緒に見ることだなんて話を昔テレビで誰かが言っているのを聞いたことがありますが、なんだかそれにも通じる話のような気がします。
たぶん、根拠はないですけど、欧米人にとってのI love youって日本人にとっての「愛してる」や「好きです」よりも、ずっと軽い気持ちで使える言葉なんじゃないかと思うのです。家族同士でも子どものころからあいさつと同じような感覚で使っていそうだし。日本人にとっては、「愛してる」はどうしても重い言葉です。それを考えると、I love youの訳語が「愛してる」じゃなくて「月が綺麗ですね」でも全然おかしくないのではないかと。
日本人には「告白」という重い儀式みたいなものがあって、それにどうしても違和感を感じたりもします。それはただ恋愛のハードルを無駄に高くしているだけなんじゃないかと。フィンランド在住の人に聞いた話ですが、フィンランド人はいわゆる「告白」みたいなものはしないそうですね。気が合う人と一緒にいたら、いつの間にか自然に付き合ってるみたいな感じなんだそうです。そういうほうがずっといい。
ここで、昔の永井真理子の歌の歌詞を思い出す。
雑誌に出ている 恋はなんだか
急ぎすぎているから つまらない
おとぎの国の 恋人たちは
好きだと告げることさえも しないよ
しかし現実には、もたもたしているうちにあっさり他の人にとられたりしてしまうわけで。
なんともやるせない世界です。
そして、ついフィクションや歌の世界にに真実を探してしまう。
斉藤和義も言っています。「本当のことは 歌の中にある」と。
しかし、なんだって私はこんなことを力説しているんでしょうか?
いいかげんハズイのでこのへんでやめときます。