本と写真と珈琲が好き

書きたいこと、写真に残したいもの。思いつくまま、気の向くままに。

弱さの情報公開

最近ちょっとメンタルをやられている。
 
この季節にはよくありがちなことなのだけれど、それにしても今回のはちょっとひどい。突如不安に襲われて、その場で息をしているだけでも苦しくなることが時々ある。こないだも、とある会議中に心臓がバクバクして冷や汗をかいてしまった。軽度のパニック障害かもしれない。ここまでなるのはさすがにひさしぶり。そういうものとは、とうの昔におさらばしたつもりだったのだけど。
 
ある人に当事者研究をすすめられたこともあって、浦河べてるの家向谷地生良さんの著書『安心して絶望できる人生』を思い出し、少し読み返してみた。その本によく出てくる「弱さの情報公開」という言葉について、あらためて意味を噛みしめてみた。
 
そうだ。自分は弱さの情報公開がしたいのだ。自分の弱さを語り、それを誰かと共有したい。
 
でも、どこで?誰と?あらためて周りを見渡してみると、そういう場というものがほとんどないことに気づく。Facebook?いや、ちがう。SNSは、それとは対極的な場所だ。一般的に、誰もが自分の「強さ」の情報公開をするのがSNSだ。自分がいかにうまくいっているか、いかに楽しんでいるか。だから落ち込んでいるときに考えなしにSNSを見ていると、かえってひどく落ち込んでしまう。SNSだけじゃない。現実の世界でだって、人はみんな、うまくいっている自分だけを見せたい。そして極端にうまくいかなかった人はテレビのニュースやワイドショーでおとしめられ、視聴率を上げるためにに利用され、人はそれを見て自分と比べ、少し安心する。そうだ、弱さなんか見せている場合じゃない。いつ寝首をかかれるかわからない弱肉強食の世の中で。
 
でもそれで人は本当に幸せなんだろうか、と考える。生きている以上、誰もがいつでもどん底に落ちる可能性を秘めている。自分だけが不幸を免れる保証なんてどこにもない。自分の弱さを認める方が、それを安心して語れる場がある方が、本当は誰にとっても幸せなんじゃないだろうか。
 
浦河に行ったことはないが、そこではどんでもなく問題のあるたくさんの人たちが「何の問題もなく」、いや「問題があっても問題なく」暮らしているらしい。過疎に悩む町がそんなことで全国から注目されてるいるのはすごいことだと思う。自分の暮らす町にもそんな場所が作れたら、なんて妄想してみる。
 
自分はきっと、人の弱さを聞くことも好きなんだと思う。でも、なかなかそこまでの関係になれる人はいないから、ついつい自分の苦しみにばかり目がいってしまう。きっと自分と同じように人知れず悩んでいる人はいくらでもいるだろうに、気づいてあげられない。いや、気づこうとすらしていないのかもしれない。
 
ふと、自分を語る言葉の少なさに気づく。自分を語る言葉を見つけることを、ずいぶん長いことサボってきたように思う。
 
弱さの情報公開は、誰かのために、世界のために、きっと役に立つものだと思う。自分の弱さを語らない、語れないということは、誰もが学校でうんこをしたいのに我慢して、した者をバカにすることでかえって自分を追いつめるあの小学校での悪癖に似ている気がする(今はどうなのか知らんけど)。
 
追いつめられるとなんとかそれを言語化したくなるので、ちょっとまとまった文章を書いてみた。
 
なんて書いてはみるけど、本当に病んでいる人が目の前にいたら、自分は引いてしまうかもしれない。ソーシャルワーカーってすごいよね。尊敬します。